島にはびこる”言われる”問題と、昨今の不倫報道問題について

こんにちは、いおんです。

先日、島でこんな話を聞きました。

「島はすぐ、”言われる”よね。」

何かすると途端にウワサになってしまう。島に限らず、地方でも都会でも同じような話はあるが、島ではこの傾向が強いように感じる。そしてこの話を聞きながら、「だからいつまで経っても芸能人や政治家のどうでもいい不倫報道がなくならないのか・・・。」と思った。

 

島はチャレンジの足を引っ張る人が多い?!

今月の22日まで奄美大島の瀬戸内町でキングコング西野さんが描いた絵本「えんとつ町のプペル」の個展が開かれている。仕事ではないのでボランティアで集まったスタッフがこの個展の準備をし、今もスタッフとして関わっている。

先日あるスタッフと話していて知ったのだが、スタッフをするだけでも周りから”言われた”らしい。

「お金にならないのになんでするの?」

「子供の面倒見なくていいの?」

要するにスタンダードな人生を歩み、分かりやすい母親像を演じていれば良くて、少しでもレールを外れると”言われる”

ある起業をしている知り合いからも話を聞いた。その知り合いは今年から新しいことを始めようとしているのだが、その話をしているときにポロっとつぶやいていた。

「また何か”言われる”かもしれないけどね。ただでさえ、今でも”言われてる”のに。」

なにかチャレンジするときにこの”言われる”問題がつきまとう。”言われる”問題を恐れてチャレンジすることに躊躇している人も多いようだ。

もちろん、これは島に限った話ではない。都会でもドリームキラーと呼ばれる人は存在する。ぼくが会社を辞めて個人事業主として活動するときだって言われた。

「俺は気にしないけど、お前のこと悪く”言う”人もいるから・・・」

都会であれば「そんなの気にしなきゃいいよ」で終わる話。しかし、島ではそうはいかない。人との距離が近すぎるのだ。

 

コミュニティの狭さゆえの弊害

六次の隔たりという言葉を聞いたことがあるだろうか。自分の友達を6人たどっていくと、全世界の人と繋がれるという仮説だ。

島では6人どころではない。2,3人で全島民と繋がってしまう。知らない人でも少し話すと

「〇〇の同窓ね!」

「あそこの〇〇さんの親戚か!」

なんてことになる。

”言われる”問題も赤の他人が言ったことであれば気にしないで済む話だが、知っている人に言われると話が違ってくる。

「あなたの同級生の〇〇さんのお母さんがこんなこと言ってたよ。」

なんて言われると、さすがに精神的に辛い。しかも自分だけが辛いならまだしも、家族にも影響してきてしまう。ぼくも経験があるので分かる。自分が言われるのはいいが、母親が言われたりする。

「あなたの息子さん、好きなことやるって独立したらしいけど大丈夫なの?食べていけてるの?」

母親としては子供を信じたい気持ちもあるだろうが、世間体を気にしてしまう気持ちもある。はじめは良くても数ヶ月経つと精神的な負担が大きくなってしまうだろう。

都会はマンションの隣の人とも挨拶しなくて殺伐としてると言われる一方、島の人は温かく親切だと言われる。確かにそれはあるのだが、距離が近いと近いで問題があり、ちょっとしたことでもウワサが広がり肩身の狭い思いをすることになる。

 

昨今の不倫報道問題について

先日、音楽家の小室哲哉の不倫報道が問題になった。他人の色恋沙汰にいちいち口を出す道徳観がどうかと論争になったが、これは確かにその通りだと思う。他人の色恋沙汰などどうでもいい。

しかし、それが自分の家族だったらどうだろう。

妹の旦那が不倫していて、妹が悲しんでいたら・・・

さすがに妹の旦那に対して「おい!」と言うだろうし、その旦那が会社で成績を上げていたとしても人間的に不信感を持ってしまう。友達でも同じ気持ちになるだろう。

島では偉い人でも近しい人になる。東京に住んでいて小池都知事は遠い存在でも、島では町長が友人の親戚だったりする。都知事と町長じゃ比べる対象じゃないか?まぁいいか。島出身の有名な歌手、元ちとせも友人の親戚の親戚だ。

距離が近いと色恋沙汰も黙って見過ごせない。悲しんでいる人が知人であれば、許せないという感情になるのも分かる。

要するに、都会にいる人にとってはどうだっていいほど遠いことである政治家のスキャンダルでも、島の人にとっては身近な問題になりうる。身近な存在とそうでない存在を切り分けて考えられたらいいのだろうけど、おそらく同じ感覚で政治家や有名人の不倫、許せない!となるのだろう。

 

まだまだ世界は変わらない

都会にいると、もしかしたら世界は変わるんじゃないか?!と思うことが多々あった。たとえば選挙のときにSNSを見ると「みんな投票行こう!」と言い、実際に行く人が増えている。もしかしたら今回は投票率が上がるんじゃない?!と思うけど、蓋を開ければまったく変わっていない。ときには下がっていることだってあった。

SNSで自分が感じている世界は、世の中のほんのほんのほんの一部だと感じた。

今回の不倫報道騒動にしてもそうだ。他人の色恋沙汰に口出す倫理観はどうかしてると、多くの人が思っているように感じる。しかしそれは、SNSで自分が見ているだけの世界の話で世の中はまだまだ変わらない。

たとえばクラウドファンディング。最近ではテレビでも聞くことが多くなったクラウドファンディングだが、ぼくの感覚では4年前くらいには当たり前だった。周りの人は当然知っていたし、利用している人も多かった。しかし、世の中に浸透してきたのは最近のことだ。

自分がSNSを通して見ている世界はどちらかというと最先端の世界であり、それはほんの一部のこと。(自分が時代の先端をいってると言いたいわけではない。)実際に島に来てみると、自分が見ている世界よりも数世代考え方が遅れているように感じることもある。

イノベーター理論で言うと自分はせいぜいアーリーマジョリティくらいかと思っていたが、世界全体で見るとアーリーアダプターで、世界を作っているのは多くのアーリーマジョリティ、レイトマジョリティであることを実感する。

最後に断っておくが、何も島の人をバカにしているわけではない。島の中でもオモシロいな、と思う人はたくさんいる。島に来て感じたことを書き綴っただけだし、自分が感じたことを否定する気はない。

島の”言われる”問題を聞いていて、こういう人がいる限りまだまだメディアは不倫騒動をおもしろおかしく報道するんだろうし、新しい考え方が世の中に浸透するにはもっともっと長い年月がかかることを痛感している。

特にこの辺りは移住者が島の人とトラブルになりやすいポイントなので、注意しておいた方がいいように思う。