こんにちは。いおんです。
先日、朝日新聞に取材していただき、1月5日の朝刊2面に載りました。
取材していただき、自分がなぜ奄美大島に移住してきたかを振り返ることができました。
思えば2016年の1月6日に移住してきて早2年。あの頃はまだ関西と奄美大島にLCCは飛んでおらず、JALで朝9時の便に乗って奄美大島に来ました。
チケットを予約していたつもりが搭乗手続きでチケットの購入ができていなかったことが発覚!当日のチケットの空きを調べたところ、空いてはいたのですがチケット代が4万円・・・痛い出費になったことも今ではいい思い出です。
2年経ち、島での生活はだいぶ慣れました。移住するときに思い描いていた生活に近づいたこともあれば、いつのまにかあの頃の思いが薄くなってしまったこともあります。自分のためにも、今感じていることを書き残しておこうかと思います。
そもそも奄美大島に移住を決めた理由
突然、左目が白く霞んで見えなくなった。
その頃、ぼくは6年住んだ東京を離れ、実家に戻ってきていました。東京ではITの会社で3年8ヶ月働いた後、個人事業主として独立し、プロポーズプランナーと名乗って結婚式のイベントや動画作成をしていました。
家庭の都合で実家に戻り、気持ち新たに関西で頑張ろうと思っていた矢先の出来事でした。
眼球に注射を打ち、一旦症状は落ち着いたかのように見えました。しかし、1ヶ月後に再発。さすがにこんな短期間で再発するのはおかしいと、大きな病院で血液検査をして調べましたが結果は分からず。「ストレスじゃない?」と言われるだけでした。
もともと子供の頃からアトピーがあり、ダニアレルギーがありました。
東京で住んでいた6年間、皮膚科に通って薬はもらっていましたが、年々症状がひどくなっていっているような気がしていました。実家に戻り、毎日の食事や洗濯は母親がやってくれ、ストレスなんてかからない生活をしていたはず。なのに知らぬ間にストレスが溜まっていたようです。
「自分は何がしたかったんやろう…。」
好きなことを仕事をしたいと思って独立したはずなのに。こんなはずじゃなかったのに。
独立してはじめの2年は、生活するのがやっとでした。毎月クレジットや水道代の支払いに追われる日々が続きます。
自分がやりたいことをもっとうまくやってる人、同世代でどんどん結果を出していく人、そんな人の活躍をSNSで見るたびに気持ちが凹んで行き、頑張れない自分も嫌になるし、なにもかもから逃げ出したいと思っていました。
先輩からは「経営者なら売り上げをあげろ!」と言われる。みんな、もっと地元を、日本を、社会を豊かにしようと頑張っていました。すごいな、と思いつつも心のどっかでモヤモヤが消えませんでした。
「成長の先に何があるんだろう?」
ある整体師の友人から聞いた話では、大手の整体マッサージ店はお客様の体を治すことはしなそうです。お客が来なくなるから。ほどよく気持ちよくさせて、リピーターに繋げると聞いたことがあります。
服の流行色だって、どっかの会議で決められてるそうです。去年買った服もまだまだ着れるのに、購買意欲を煽られて消費していく。みんな売り上げを上げるために必死です。そして鬱や過労死。何を求めているのか分からなかった。
なにが幸せなのか。なにがやりたいのか。どう生きたいのか。
「明日体が動かなくなってもおかしくないんやな…。」
改めて自分が何をしたいのか考えました。
昔から、ゆくゆくは南の島でゲストハウスなんかしたいと思っていました。いろんなことから逃げたかっただけなのかもしれない。一旦リセットしたかっただけかもしれないですが、ベッドの中でいろんなことに思いを巡らせてると、島に行きたい気持ちが日に日に強くなってきました。
「そんなにやりたいならやってみよう。」
これが奄美大島への移住のきっかけとなりました。
移住する前の当時の気持ちはこちらの記事にも書いています。良かったらご覧ください。
移住して2年経った今思うこと
移住する前は、脱成長やダウンシフトの本を読み漁っていました。
お金なんて稼がなくてもいい。
限りなく成長を目指すよりも、生活を見直してつつましく生活したいと思っていました。
島で暮らせばお金もきっとそんなに必要なくなるし、畑なんかで農作物作っても面白い。自炊もして、なるべく生活コストは抑えてゆとりのある生活をしよう、なんて考えていました。
でも実際は思った通りになんて行きませんでした。
奄美大島の中でも都心部に住んでいるので、賃貸で一人暮らし。自炊もなかなかできませんし、物価も安いわけではないから食費もかかる。畑なんてもってのほか!
島に来てからシュノーケリングをするようになり、水中撮影も始め、フリーダイビングのライセンスも取ってしまったもので物欲が止まりません。欲しいものがどんどん増える。他の島にも行きたい。やりたいことがどんどん出てくるので、お金が必要になり、稼がないとな、と思うようになりました。
島を見ていると、いろんな問題があることに気付かされます。東京や大阪にいると、その問題について知ってはいても、どこか他人事と感じることが多かったです。それはきっと、その問題に対して取り組んでいる人がたくさんいるから、自分が出る幕ではないと思っていたんだと思います。
しかし、島だと問題に対する取り組みがまだまだ足りない。
たとえば教育問題。奄美大島の高校は、進学校といえど偏差値は47。正直にいって勉強ができない人がほとんどです。
安定を目指して医者や公務員を目指すけど、きっとこれからの地方に必要なのは、そんな保守的に職業を選んだ人ではない。もっといろんな人脈を持ち、アイデアを持ってチャレンジできる人が必要だと思うのです。だけどそんな人を育てられる教育にはほど遠い。
なぜそんな問題が起こるのか。考えると、そこにはやっぱり経済問題は切っても切り離せないと思い、以前よりもお金を稼ぐことの意味や、税金を納める必要性が分かった気がします。
東京や大阪にいた頃は、今よりもっとキラキラしていた気がします。夢を語っていたというのか、今の方が現実的だなと思います。歳のせいなのか、社会の仕組みをより身近に感じるようになったからなのか。理想的と現実的を比で表すと、前は7:3だったのが5:5くらいになった感じです。
発する言葉も、前はあまり後ろ向きなことは言わず、前向きなことを言うようにしていたのですが、最近は後ろ向きなことも普通に言います。でも、それは悪いとは感じていなく、素の自分に近づいた気がするし、今の自分にとってちょうどいいバランスなんだと思います。
島の生活はとても楽しく、ストレスを感じない生活ができています。友達もでき、いろんな仕事を振ってもらい、仕事で他の島に行くこともできました。島だと仕事が誰のためになっているかが見えやすいので、役に立てている実感があり嬉しいです。
プライベートでも趣味が増えたし、週に一度は海に遊びに行きました。雲の動きで天気が分かるようになったのも自分にとって喜ばしいことでした。
移住してこれからしたいこと
東京でお世話になっていた人に島に行くことを伝えた時、「せめて3年は頑張れ。」と言われました。2019年が終われば3年は過ごしたことになります。
思っていた以上にいろんなことがやれているし、それなりに存在感は出せてきたのかな、と思います。この1月も早速、今までにない仕事の依頼がきて、幸先の良さを感じています。
でも、これでいいのかな?という思いはあります。
というのも、今受けているのは全てクライアントワーク。なにかをぼくに依頼してきてくれることで成り立っているわけです。自分の性格上、目の前の誰かが喜んでくれたり、役に立てている実感があったほうがやる気がでるので、これはこれでありがたいことです。
でもこれって、依頼がなくなってしまえば終わり。今は奄美がちょっとした観光バブルになっているけど、これが終わったらどうなるのか、と思います。
そうなる前に、クライアントワークはもちろん大切にしながらも自分で何かを始めたいな、という気持ちが強くなっています。元々何かやりたがりなんです。自分でも「これやってます!」って言えるものが欲しい。
いろいろ考えてはいるのですが、行き着くところ、自分の影響力次第なのかな、と今は思っています。逆に影響力が大きくなれば、なんだってできるようになる。
そのためにはやっぱり発信が大事だし、こいつ面白いな、こいつといれば面白いことできそう、と多くの人から思ってもらえることが必要なのかと思います。
ブログやSNSなどで島の生活を発信したり、何か面白い仕掛けをして、自分の存在を世に広めること。この2年間は様子見ながら大人しくしていたので、もう少し殻を破ってみてもいいかなー、なんて思っています。
具体的に何をするかは後々発信していきますが、移住して2年経った今の気持ちでした。もっともっと面白いやつになるぞー!