【感想】奄美大島でキングコング西野さんのトークショーに行って来た

 

こんにちは。いおんです。

先日、奄美大島で開催されたキングコング西野さんのトークショーに参加してきた。カメラマンスタッフとして当日運営にも携わり、集合写真も一緒に撮ってもらって未だに興奮が冷めません。

トークショー自体もとても面白く、勉強になることがたくさんあった。さすが芸人と思わせる話術で1時間半があっという間だった。せっかくなので、聞いた話の中でも特に印象に残ったことをブログに残しておこうと思う。

えんとつ町のプペルの全体像

絵本「えんとつ町のプペル」が映画化されるという話を聞いてからずっと疑問に思っていたことがある。

 

「短くね?」

 

「えんとつ町のプペル」は絵本なので、文字はそこまで多くない。大人が読んだら10分くらいで全部読めてしまう。それを映画化してもせいぜい30分くらいだろう・・・

短編映画になるのかな?と思っていた。

 

トークショーで西野さんの話を聞くまでは。

 

実は絵本で語られているのは全体の7分の1ほどしかないそう!映画では、なぜ煙に覆われたえんとつ町ができたのかから描かれる。

このえんとつ町ができるまでの話がまた面白い!!!ここには現代の経済を風刺したふかーいふかーい物語がある。特に興味があったのが、えんとつ町を作るキーパーソンとなったシルビオ・レター

名前を聞いた時にピンと来た。この名前は、ドイツの経済学者シルビオ・ゲゼルと西野さんが開発したサービス、レターポットから来てるはずだ。

シルビオ・ゲゼルは西野さんのブログでもよく名前が出ている。「減価する貨幣」という理論を唱えた人だ。これはトークショーでも話があったが、お金というのは価値が減らないことに問題があるという理論だ。

お金がなぜ生まれたのか考えてみてほしい。昔々、人々は物々交換で生活をしていたはずだ。ある人は自分の畑でお米をつくり、ある人は海で魚を獲ってくる。自分では食べきれないほどできたお米と魚を交換して生活を豊かにしていた。小さな村ならこの物々交換で成り立っていただろう。

しかし、村同士の交流が進み、別のものと交換するとなると価値の基準がわからない。ある場所ではたくさん獲れて価値があまりなかったものが、別の場所に行くと価値が高くなることがある。等価交換であるはずが、場所によって価値が別々になってしまう。これを均一化して等価交換をしやすくするためにお金は生まれた

お金は、他のものと性質が違う点がひとつある。それは価値が下がらないことだ。お米や魚であれば時間が経てば腐る。服も本も家も、汚れて腐敗して価値が下がる。でも、お金だけは価値がずっと下がらない。等価交換の市場の中でお金だけは別格になったのだ。

だからこそ、人々は価値の下がらないお金を求める。お金を貸して利子をつけ、お金がお金を生み出すようになる。貯金してお金を溜め込み、経済が回らない。これが問題だと考えたシルビオ・ゲゼルは一定期間経つと価値が下がるお金を提唱した。これはなにも夢物語ではなく、実際にオーストリアのヴェルグルという町では一定期間で価値が下がる地域通貨が発行された

西野さんが開発したレターポットはこの要素が取り入れられており、4ヶ月経つと持っていたレターが消えるような仕組みになっている。

話をえんとつ町のプペルに戻す。えんとつ町ができたのは、これと同じような地域通貨が関係している。価値が減る貨幣があると、都合が悪くなる人がいる。それは、今すでにたくさんのお金を持っている人だ。持っているたくさんの資産が消えるとなると、そんな流れを許すはずがない。要は今の経済システムを支える中央国家だ。

えんとつ町はこの中央国家から離れ、独立国家を生み出すために生まれた。しかし、中の人が外の世界に気づき、交流を持ってしまうとまた元の経済システムに戻ってしまう。外との交流を遮断するためにえんとつから煙を吐き出し、外の世界と隔離しようとした。そうしてえんとつ町は生まれたのだ。

絵本だけを読むと、えんとつ町は煙に覆われていて、夢を笑う人が住み、とても居心地が悪い場所のように感じる。しかし、もともとえんとつ町は独自の経済システムを持った理想郷だったのだ。その理想郷がなぜ今のようなえんとつ町になったのか。外の世界を知ったルビッチがどうなるのか。

この話を聞いて映画をますます見たくなった。もともと僕は、ミヒャエル・エンデのような深いテーマを扱った物語が好きだ。「えんとつ町のプペル」にはそれに通じるテーマの深さを感じる。奄美大島には映画館がひとつしかないが、上映してくれることを願うし、上映しなければ自主上映したい

このテーマに興味がある人は、シルビオ・ゲゼルの本を読んでみることをオススメする。

 

「作る」という意味を再定義する

西野さんは「えんとつ町のプペル」以前にも絵本を描いている。ぼくはまだ読んでいなく、トークショーで簡単にあらすじを聞いただけだがとても素敵なストーリーだった。

 

だけど売れなかった。

ずっとアトリエに篭って描き続けたのに、まったく売れなかった。しかも世間からはこう言われる。

「最近、キングコング西野見なくなったね。」

自分はずっと絵本を描き続けていたのに。

この時に気づいたそうだ。作品は生み出しただけでは”作る”とは言わない。作品は人の手に届いてはじめて”作る”と言えるのだと。

作品に限らずサービスにも言える。ただサービスを考え出しただけでは作ったとは言えない。利用する人の手に届いて、はじめて作ったと言える。

つまり、人の手に届けるまでの導線までもデザインしないといけない。よく職人気質の人が「俺はネットや流通のことは分からない。」と言ったりするが、それではダメなのだ。もちろん職人気質を貫いてうまくいく人もいるが、今の時代は作り届けるまでをいかにデザインできるかが大切だと話していた。

トークショーを聞きながらもさすがだと感じた。西野さんの話には、要所要所で絵本のストーリーの話や本に書いた内容のことが含まれる。思わず興味を持ち、続きを読んでみたくなる。おそらくトークの内容も自分の作品を買ってもらうための導線としてデザインしていたのだろう。

 

おみやげは生活必需品

西野さんは自分が何を買い、何を買わないかを分析した。

すると生活必需品は買っていると分かった。お米は買うし、水は買う。服や靴は買うし、家の家賃も払う。逆に言えば生活必需品でないものは買わない。たとえば有田焼は買ったことがないと言っていた。おそらく大島紬も買ったことはないだろう。

一見生活必需品ではないが、買ってしまうものがある。それがおみやげだ。京都に行ったら「御用」と書かれた提灯を買ってしまった。当然だが提灯が生活に必要だったわけではない。おみやげとして買ったのだ。おみやげを見ることで旅の楽しかった思い出がよみがえる。つまり、人は思い出を買っており、思い出は生活必需品なのだ

東京ディズニーランドに行って楽しくて、帰りに入口付近に並んだおみやげ屋を通り過ぎて帰ることができるだろうか。あそこを素通りできる人はなかなかいないだろう。感動体験が大きければ大きいほど、人はおみやげを買って思い出を持ち帰ろうとする

「えんとつ町のプペル」は絵本として売られていない。おみやげとして売られているおみやげとして売るためには、その前に圧倒的な感動体験が必要になる。だから絵本の個展を開いている。絵本を光らせて、真っ暗な中で輝くようにしている。

無料で誰でも個展が開けるようにして、全国で感動体験ができるようにする。そして感動した人々はおみやげとして絵本を買って帰る。「えんとつ町のプペル」はこうして34万部を超える大ヒット作品になった。

これは地方の観光業にも大きく関係することだろう。観光とおみやげは切っても切り離せられない。観光に来た人がおみやげを買うかどうかは、その場所でどれだけ感動的な体験ができたかにかかっている。

たとえば民宿に泊まり、そこのお母さんと仲良くなったとしよう。お母さんの話が面白くて料理がおいしく、とても優しくしてくれて別れるのが寂しいくらい素敵な体験をしたとする。民宿から出るとき、玄関におみやげが500円で売られていたらどうだろう。しかもそれがお母さんの手作りだったら。

実際に買うかどうかは別として、買ってしまいそうになる気持ちを理解できない人はいないだろう。大事なのは楽しかったという思い出であり、たとえそのためにしたことが無償であってもマネタイズのポイントが後ろにズレただけの話になる。

最近、無料でなんでもできるようになってきた。スマホゲームは無料でも十分に遊べるし、クラウドサービスも無料でここまで使えるの?!と驚くものが多い。それも同じ話で、課金制度でマネタイズのポイントを後ろにズラしているだけ。まずはユーザーに「楽しい」「使いやすい」と圧倒的な体験をさせられれば、マネタイズは後からいくらでもできるのだ。

西野さんの著書「革命のファンファーレ」でもこういったことが書かれている。

そういえば、奄美大島に来た西野さんはおみやげを買って帰ったのだろうか。笑

 

今年はなにかアクションを起こしたい

キングコング西野さんのトークショーはとてもとても面白かった。チャレンジして、新しい取り組みをしている人の話は面白い。

ぼくにとって今回のトークショーで印象的だったことがもう一つある。

このトークショーを開催することにした人のことだ。

えんとつ町のプペル展を開催し、西野さんを奄美大島に呼んだのは一人の主婦がきっかけだった。

彼女は家庭もあり、子育てもしながらこの準備を進めてきた。島のコミュニティの狭さから、何をしてるのか分からないと島の人から言われることもあったそうだ。実行委員と意見があわず口論になったこと、クラウドファンディングで胃に穴が空きそうになったこと・・・

それでもがむしゃらにやり続けて、リスクを負いながらも開催した。素直にかっこいいと思ったし、刺激を受けた。

島に来て1年。いろんな人との繋がりができて、いろんな仕事をさせてもらった。「島に来てなにかやりたいことあるの?」と言われることもあったが、漠然として答えることができなかった。

最近、島の同世代で同じようにリスクを負って挑戦している人と会うようになった。そんな人を見ていると自分も何かしたいな、という気持ちになってくる。

幸いなことに数名から「一緒にやろう」と声をかけていただいている。去年はとにかく”広げる”一年だったので、今年は少しずつ”深める”方にシフトしたい。そういえばしいたけ占いでも、今年は「続編ではなく、新作をつくりたい気持ち」と書かれていた。

今週末で32歳。さぁ、面白くなってきた!

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